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災害ときたら「地震」、「台風」などのイメージが最初に浮かび上がるのではないでしょうか。しかし、災害というものを気象学や地質学などではなく、社会学の観点から定義することもできる。社会学の観点から定義すると、災害とは、主観性のある、意外性を持つネガティブな変化の過程というふうに捉えることができます。。更に「長い間存在していた社会問題を顕在化させる過程」でもあります。

例えば、1991年にアメリカのフロリダ州とバングラデシュが同じ強度のサイクロンに襲われました。しかし、その二つの災害における犠牲者の数字が全然違います。バングラデシュでは14万人の犠牲者を出したのに対して、フロリダ州ではたったの13人でした。この差は何でしょう?

どの災害もそうなのですが、一番被害を受けるのは社会階級の低い人たち、特に貧困層です。本当の災害はサイクロンでもなく、水害でもなく、地震でもなく、本当の災害は貧困なのではないでしょうか。

今まで、災害が起きると、私たちはずっと救援活動で救援物資を送り続けてきました。何十年も救援活動を行ってきたが、現状は何も変わっていないのはなぜでしょうか?いや、むしろ貧困層がますます災害に脆弱になっていくことは否めません。救援活動は彼らを貧困の悪循環に閉じ込めるだけかもしれません。彼らに必要なのは、救援物資ではなく、エンパワーメント(物事を変える力・権利)と信頼なのではないでしょうか?

災害が起きることを防ぐことはできませんが、災害による被害を最小限に抑えることは私達の共通で最終的な目的なのではないかと考えています。そのためには、過去の災害を学び、それに踏まえてしっかり防災教育をしたり都市計画をしたりリスクコミュニケーションを図ったりして、いかに人間社会の日常的な営みの妨げにならないことが肝心なところです。それを達成するために、政策というマクロな視点と、市民の災害に対する認識や心理などのミクロな視点を取り入れた上で、防災・減災を行う必要があると思います。

まず、認識に関して述べさせていただきます。災害は決して単発的な出来事ではなく、繰り返しで起きる現象であり、更に社会問題により災害の被害が深刻化するし、災害によって社会問題が深刻化・加速するという、長い間にわたって続いている過程だという認識を植え付けることが極めて大事です。もしかしたら、昔ではこういう認識を持っていたのかもしれません。例えば、宮古島の津波除けの祭祀「ナーパイ」はその一例です。昔は「災害」という言葉は存在せず、そういう出来事は「郷土史」や「文化」として教育していたとのことです。災害は一過性の出来事ではないので、文化として継承することができれば、私達も生活の一部として、もっと広い視点から「災害」を見直し、それに備えることができるでしょう。

第二、上記の認識を持っていれば、災害対策についても少し変わってくるかもしれません。理想的な「自然災害に向かい合う方法」というのは、「ハードによる災害防御:堤防や施設による災害の防御」、「ハザードからの退避:危険なところには住まない(建築制限や形態規制)」、「人間・地域社会の対応力:被災時に安全が確保できる人間、地域社会とそれを支える空間」という三つの要素の最適な組み合わせによって作られるとのことでした。私達は堤防や技術などで災害を防御しようとしているのは、近年科学技術の発達や経済成長によって、科学至上主義と経済資本主義のせいなのではないでしょうか。特に、経済資本主義の普及によって、災害後、お金(義援金)を授受したからには、形に見える何か行動をしないと、納得いかない市民が多くいます。そういう市民の要望に応えて堤防や施設で一時的な対策を取ったのではないでしょうか。また、「危ないところには住まない」というところに関しては、昔は住んでいても大丈夫だったので、その生計(例えば漁業)を守るため依然としてそこに住み続けたいと考えている人が多いかと思います。しかし、近年の気候変動によって異常気象、海面上昇と災害の多様化が起きているので、私達は伝統的な暮らしや文化に縛られず、現実を受け止め、臨機応変に対応しなければなりません。

そして、マクロな視点でみると、防災教育と都市計画という二つの政策で「防災」に貢献することができます。例えば、最近開発されたシナリオ型教材は「知識を教える」ところにとどまらず、「判断+行動」というところまで持っていくことを目標としています。

最後に、「公助・共助・自助の全てに貢献する制度」では、「行政によるインセンティブ制度」、「耐震改修者による積み立て」と「新しい地震保険」の三柱もマクロな面で災害への備えを改善することができるでしょう。

結論としては、日本に限らず世界において「防災」という課題に対して、教育、都市計画などの行政的な政策と、個人個人がどう社会、伝統、災害を捉えているかという心理的な要素を両方取り入れなければならないと思います。

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