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6年ぐらい前に滋賀県の和蝋燭の職人さんをお訪ねしたときに、和蝋燭のことを初めて知って色々勉強になった。和蝋燭をはじめとする日本の伝統産業に関しては少し関心はあったけど、その奥深さや深みについてはほとんど知らなかった。この訪問をきっかけに、和蝋燭、そして日本の伝統産業に秘められた、あるものに気付いた。

それは、日本文化の真髄ともいえる、日本的思想、または哲学というふうに捉えた。

しかし昨今、日本の伝統産業は現在において日常生活ではほとんど触れられていないだろう。

恐らく世界中の伝統産業も同じ問題に直面して、同じ状況に陥っていることは否めない。効率とお金ばかり求められている現代社会では、伝統は益々技術に追い越され、衰えているのは現状だ。どんな産業でもコストとスピード、つまり費用対効果が生存の鍵となる。そのせいか、昔から伝わってきた古き良き伝統を守るには、決して簡単なことではない。手で作ったというぬくもりを感じる人はどんどん減っていき、「速く安く」手に入ることが最優先されるようになった。和蠟燭も例外なく、一本一本手で作られた蝋燭は、残念ながら工場で大量生産される洋蝋燭に代替されている。

「今の若者は和蠟燭と洋蝋燭の違いすら知らないという人が多い」と、その職人さんは失望を隠せなかった。それもそのはず、日本においても和蠟燭より洋蝋燭のほうが普段使われるし、コンビニや雑貨屋でも洋蝋燭ばかり置かれている。一本一本丁寧に作るには、どうしても手間がかかるし、値段も高くなる。

そもそも、和蝋燭と洋蝋燭の違いとは何だろう?その職人さんが見事な回答を出してくれた。

洋ろうそくの原料は主にパラフィンという石油系油脂を使用するのに対し、和ろうそくは櫨や漆などの植物性油脂を使用している。私達が普段見慣れている洋蝋燭の芯は木綿糸だが、和蠟燭ではいぐさを和紙で巻いたものを使っている。和紙は楮(こうぞ)で作られる場合が多いので、和蠟燭の原料はすべて自然なものだということ。なんて素晴らしい製品だ。

そして、何より和蠟燭はそれぞれの特性に合わせて一本一本手掛けで作り上げていくのだ。蝋燭と芯の太さと長さを調整しながら、「完璧」な一本が出来上がるのだ。蝋燭の内側が外側より遅く溶けるため、外に垂れずに済む。そして、蝋が溶けると同時に芯がそれを吸っていく。洋蝋燭と違って余計な煙も出ず、蝋が溢れ出ることもない。この一本の完璧な蝋燭を作るには、職人にしか出来ない繊細な微調整と絶妙な感覚が必要だ。機械には決してできない、この完璧な一本の和蠟燭。綺麗に、完璧に燃え尽くし、まるで空気に消えてしまうようだ。

これはまさに、日本人がよく口にする「もったいない」の真髄を如実に表しているのではないかと思った。「もったいない」という言葉はほかの言語にもあるが、その意味が微妙に異なる。「無駄にしちゃいけない」という単純な意味以外にも、とても日本の文化を象徴する考え方が隠されている。日本の宗教とも言われる神道では、すべての物には「神」が宿っていると信じられている。「もったいない」はもともと仏教の言葉だが、神道の影響を受け、ある物に値する価値を充分に生かさなければ、そのものに対して失礼だということ。このもったいない精神というのは、すべての物に宿る聖なる神に対して、それに値する価値をちゃんと生かし、無駄にしないことを指している。日本人はゴミ捨ての分別に厳しいとか、子供はご飯を残さないように躾けられているとか、よく外国人に言われるが、これはもしかしたらもったいない精神が働いているのではないかと思われる。

また、和蠟燭にもこの精神が見られると思った。自然な原料を使用することから、一本一本の測定と微調整まで、ひと欠片たりとも無駄にしないという強い意志によって、完璧に燃え尽くす和蠟燭ができあがったのだ。

日本の言葉、代々伝わってきた伝統、それから日常生活は、実はとても密接な関係を持っている。ほかの国にはもちろん独自の言葉、伝統と生活はあるが、日本ほどすべてが繋がってお互いに影響を与え合うような文化はない。同様に、英語や中国語などには「もったいない」という言葉は辞書に存在していても、その国の永い歴史や人々の日常生活との繋がりは日本ほど強くなりだろう。

恐らく、和蝋燭に限らず、日本のほかの伝統産業や伝統工など、様々な文化を見てもこの関係性は見られるだろう。

 

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