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2014年の夏に文化功労者に選ばれた岡野弘彦氏にお尋ねしたときに学んだ話。

「短歌という日本的思想が潜む文化的媒体と、時代に応じた今の変化」

正直、短歌・俳句・連歌など、今まではなんとなく聞いたことはあったけど、その違いがわからなかった。恐らくそういう日本人も多いのではないだろうか。岡野先生の話によると、日本の古き良き精神、思想、言語(文語)などは敗戦後に急減したせいか、今の若者は「日本的思想」を知る由が無くなった。もちろん、短歌などには、日本の歴史、宗教なども関わっているけど、そこは知識不足のためあまり理解できなかった。

やっぱり言語ってある文化の媒体という非常に大きな役割を果たしている。言語が乏しくなるにつれ、その文化も代々伝わらなくなってしまう。これは、恐らく日本に限った話ではないと思う。英語や中国語を母国語とする現在の若者で、その言語の古文を解読したり詩を書いたりできる人はどれくらいいるのだろうか。

俳句には言葉と拍子の決まりはもちろん、必ず季語があり、そして上の句にはだいたい「地形」、下の句には「情緒」が入る。ほかにも色々な約束はあるかと思うが、そこは詳しくないのでご了承ください。

「季節」、「地形」といった自然的要素、それから「情緒」、「言葉」という人間的要素が綺麗に和えて成り立つことが非常に日本的だなと思った。img_0663

そして、「連歌」という多数の人によって作られた詩も非常に興味深かった。一人が上の句を吟じ、それを聞いて下の句を即座に考える。西洋にも「詩」があるが、「多数の人が協力し合って作る作品」はなかなかないと思う。恐らく中国の文学にもないだろう。

日本の「里山文化」と非常に似ている気がした。これぞ、日本的思想の素ではないだろうか。東日本大震災後に話題になった「絆」や「助け合い」といった言葉ももともとここから来ただろう。

これこそ、経済的急成長で失われた古き良き日本的思想で、まさに現代日本に欠けている要素だと思った。

しかし、文化が時代に応じて変わっていくのは仕方ないことだ。 

文化は長い歴史で色々な変化を遂げてきた。なので、こういった要素が消えるのは、この時代にはもう必要でなくなったからかもしれない。

日本の学校では古典はまだ教わるらしいが、古典をただの授業科目として教えるのではなく、その本来ある思想を教え込むべきなのではないだろうか。

短歌や連歌などは、あくまでも日本的思想・精神を持ち運ぶ「媒体」で、短歌が消えても、その精神さえ存在すれば、何か違う形に受け継ぐことができるかもしれない。

日本的思想は実にとても深い物がある。しかし、日本は島国で、しかもほぼ単一民族だったので、その伝統や文化を言葉にして訴える必要はあまりなかった。そのせいか、言葉には説明できないところがある。

それを「感じる」しかないかもしれない。

アメリカやヨーロッパ諸国は、ずっと異文化に囲まれていたせいか、言葉にして国民に伝えなければいけなかった。グローバル化が進む中、言葉にされた欧米の文化は日本の「曖昧」な文化より、表面的なインパクトが強かった。そのせいで、日本の文化は薄れてしまったかもしれない。

「お前達は戦前の日本の良き伝統文化を受け継ぐ最後の世代なんだ」というのは岡野先生が若き日本人達へのメッセージだった。これは、もしかしたら日本に限ったことではないかもしれない。

文化は変わるものとはいいつつ、その本来ある姿を忘れては文化の本質が消えてしまう恐れがある。我々の世代はそれを守りつつ、今後のチャレンジと向き合わなければならない。

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