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最近、「テレビが日本人をダメにする『世界の日本人妻が見た』出演拒否された友人の話」という記事を読んで、色々感想があったのでそれについて少し綴りたいと思う。

結論から言うと、この記事に書かれた内容には概ね賛同するのだが、これは必ずしも日本メディアのせいだとはいえない。日本のテレビをはじめとするメディアのコンテンツをいかに解読するかはあくまでもオーディエンス(観客・視聴者)の自由である。そして本来の役割ではないけど、現在の日本のメディアは観客の視聴率を獲得するために観客が欲しがるエンターテインメントを作らねばならないので、「そういう内容を欲しがる」という視聴者の責任もあるのではないだろうか。それに踏まえて、日本が長年推進してきた「多文化共生」について物申したいと思う。

引用記事は以下3つの点でまとめることができる。

1. 外国または外国人をテーマにした日本のバラエティ番組(この記事は特に『世界の日本人妻が見た』という番組を批判している)の多くは、異国の“珍”生活、“変な”文化などをリポートし、その“変な”ところだけに焦点を当て、ステレオタイプを作り、視聴者を“海外を知った気にさせる”。例えば、記事で取り上げられている「フランス人は汚い、スペイン人はマザコン」というのは、サンプルサイズはどれくらいか、信頼度と有意水準はどれくらいか、つまり調査方法において疑問を持っている。ゴールデンタイムに全国で放送されるテレビ番組なので、せめてその説明責任を持ってほしい。

2. 「世界から見た日本」という観点を完全に無視し、あたかも日本が世界のスタンダードであるかのような伝え方をしている。記事に取り上げられているのは、「フランス人は汚い、スペイン人をマザコン」というふうに見せつけているが、もしかしたら本当は「日本人は異常に潔癖性、そして日本では親子関係は希薄である」かもしれない。

3. こういう番組のせいで、視聴者は“海外を知った気になる”けど、日本が世界のスタンダードで、日本は正しく、海外はおかしいという観点で見ると、それは結局「異文化理解」に繋がらないし、却って「日本vs外人」という「内と外」の対立関係が強まる一方だ。

冒頭にも書いたように、これは別にメディアだけのせいではないと思う。メディアの商業化により、視聴率を獲得することが優先され、視聴者が欲しがるような内容を作らなければならない状況にある。メディアのせいで日本人は「異文化理解」ができない、日本人の視野が狭くなるという、責任をすべてメディアに押し付けてはいけない。メディアは社会に影響を及ぼすと同時に、社会にも影響を受ける。メディアが現在の構造になっている、そして現在放送している番組を製作しているのは、テレビを観ている国民が求めているという社会からの要求があるわけだ。

つまり、本当の問題点はメディアにあるのではなく、人々の考え方なのではないだろうか。国際化が進んでいる中、日本が経済的にほかの国に追いつく為に、もっと外国人を受け入れなければならない。そのために推進されてきた「多文化共生」はなぜそれほど効果が見えないのか、この原因はもしかしたら上記に述べた問題と同じなのでかもしれない。

解決策として簡単に言うと、「考え方」を変えなければいけない。これは、決して日本の文化を失くして抜本的に日本人の考え方を変えて「国際化」を進めればいいというわけではない。むしろ、日本には古き良き伝統文化、長年培ってきた先人の知識、それから素晴らしいマインドセット(哲学)を持っているので、これを守ってほしいと思う。自然と共に暮らす里山文化、自然を大切にする「もったいない精神」など、今後世界が目指すべき「持続可能な将来」には欠かせない精神と考え方には、日本古来の思想と哲学にあるのではないかと思う。つまり、世界の問題を解決する鍵となるものは日本の文化にある。

さて、日本人の考え方を変えるのに、この問題を解決するにはどうすればいいのだろうか。私は以下の二つの提案をさせていただきたい。

1. 教育を改善する
2. 自分自身の歴史を知る、守る、伝える

1. 教育を改善する

まず、日本教育のどこを改善するかというと、「異文化理解を促進すること」と「多角的視点から情報を分析すること」だ。

・異文化理解を促進する
私が思うには、日本の教育、または社会と会社は「英語」(特にアメリカ英語)という1つの言語を重視しすぎている。国際化が進んでいるにつれ、「英語」も多様化している。今や英語を母国語とする人口が、そうでない人よりも減っている。つまり、ハリウッド映画で聞こえる英語よりも、そうでない英語を話す人のほうが圧倒的多くなっている。フィリピン、インド、シンガポールなどといった国の人は「英語」を母国語にしているが、実際アメリカ英語やイギリス英語とはかなり訛りが異なる。いわゆる「ワールドイングリッシュス」(World English)という現象はまさにこのことを指している。

英語教育を小学校から取り入れるという取り組みは近年始まっているようだが、「英語を話す」機会やモチベーションがないと、いくら英語教育を促進しても結果は出ない。言語はあくまでも「コミュニケーションツール」なので、話し相手がいないと、またはその言語を使うチャンスがないと、言語というより、ただの実用性のない知識として身に付いてしまう。だからこそ、日本人の多くは英語の文法と単語をよく知っているが、実際話すことができない。

英語教育というより、むしろ「異文化体験」をさせるべきだと思う。つまり、「英語」ではなく、「異文化」の教育。そして、異文化は必ずしも「白人」というステレオタイプではなく、「英語」という1つの言語ではない。日本国内にも、そして日本人の中にも「異文化」は存在している。例えば、いわゆる「在日中国人・韓国人」、またはもともとの出身は違うけれども日本国籍に変えた人々、またはいわゆる「帰国子女」も、日本人だけど、違う文化を持っている。この話になると、「ああいう人は日本人じゃない」と言いたがる人もいるだろうが、まずはこの考え方を直してほしい。

学校ではもっと学生に「異文化」に触れてもらうチャンスを設けるべき。先ほど申し上げた「異文化」の定義で考えると、別に海外に行かなくても、身近にも異文化がたくさんあることは言うまでもないでしょう。

・ 多角的視点から情報を分析する
これは、恐らく日本に限らず世界中の人々に必要な能力だと思う。インターネットが普及し、情報が飽和している世界になった現在、情報を鵜呑みするほど危ないことはない。間違った情報がインターネット上に山ほどあるので、そういう情報を盲目に信じてしまうと、とんでもないことになりかねない。

また、ある内容は違う人が読んで、違うふうに解釈するだろう。テレビ番組も同様で、同じないようでも自分の予備知識、頭の柔軟さなどによって、解釈が異なるだろう。日本のバラエティ番組にはステレオタイプを作ってしまう傾向があると最初述べたが、それを観た人はそういうふうに読み取らず、ちゃんと「ステレオタイプ」だという認識を持って解釈すればいい。

そして、少し話が外れるが、日本は「歴史問題」において色々な国から批判されている。これも、学校では「1つの真実」というふうに教えずに、「多角的視点」から歴史を分析できるように教育すべきだと思う。日本の歴史教育では、鎌倉時代は1192年(いいくに)から始まったという「年号」を暗記させられると聞いたのだが、それより、各歴史的な出来事の「経緯」や「起因」などを学び、それから異なる視点から歴史を分析するほうが大切なのではないだろうか。

2. 自分自身の歴史を知る、守る、伝える
先ほども申し上げたように、日本人がみんなわざと「国際化」する必要はないと思う。むしろ、日本人には素晴らしい伝統、文化、思想を持っているので、それを守ってほしいと思う。日本の素晴らしき伝統文化、歴史などを説明できる日本人の若者はどれくらいいるのだろうか?

「国際化」を中途半端に求める結果、異文化理解はステレオタイプで終わってしまい、そして自分の国の伝統文化をうまく人に伝えずにいる。これが問題だと思う。歴史ばかりを振り返ると、考え方が固くて古めかしくなるから良くないと言われるかもしれないが、私はそう思わない。むしろ、我々の現在の文化はある程度、歴史で起きた小さなことが積み重なった結果とも言えるのではないだろうか。飛鳥時代に花咲いた白鳳文化、室町時代に生まれた東山文化、江戸時代に花盛った大衆文化など、未だに日本文化の核になっている。

自然資源の枯渇や環境汚染などの問題に苛まれている現在の世界は持続可能な将来を実現するのに、自然を大切にし、そして共に暮らす「里山文化」や「もったいない文化」が非常に必要とされている。日本人はこういった自分自身の文化、それから歴史をよく学び、それをいかに世界で活かせるかを考えてほしい。

結論
日本のメディアは外国のステレオタイプを作るから日本人はダメだという記事から、色々連想するものがあった。日本のメディアが悪いのではなく、誰か1人の責任ではないと思う。もちろん、ある意味日本に限った問題ではないが、日本は特に経済的に発展しているわりには考え方が固くて外国人を受け入れていない。

それを解決するには、「異文化理解を促進する」、「多角的視点から情報を分析する力を身につける」ことを教育に取り入れるのと、「もっと自分自身の歴史・文化を知る、守る、伝える」ことだと思う。日本にはせっかく世界を救える素晴らしい文化を持っているのだから、それをしっかり活かしていただきたいと思う。

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