謂わば知らぬが仏。知識は力なり。だけど、時には色々知りすぎると、逆効果が出てしまうこともある。若い頃に、色々経験したり、視野を広げたりすることによって、世界観が変わってくる。もちろんそれはいいことだと思う。だけど、人生は、決めるときに、ビシッと決めなければならないのだ。選択肢が多すぎると、迷ってしまうのが当たり前。だけど、いつまでも模索するわけにはいかない。

私は、時には優柔不断の癖がある。特に選択肢が多数あるとき、尚更混乱してしまい、挙げ句の果てに肝心な時に決断を下すことができない。そのせいか、周りの人より遅く自立することになった。その反面、そのおかげで、周りの人よりも色々多く経験させてもらったと思う。

自分の中で色々葛藤しながらも、最終的にみんなと一緒にサラリーマンになってしまった。「サラリーマン」というと、だいたいネガティブなイメージしかないだろう。夜遅くまで残業手当がもらえずに仕事することが当たり前になってきたり、上司が言うことが絶対でなんでも従うようになったりして・・最終的に自分の生きる意味を見失ってしまう始末だ。皆さんは12年間学校で一生懸命勉強してきたのは、全部サラリーマンになるためなのか?もしそうだったら、本当に気の毒としか言いようがない。

社会の構造はこうなっているから、私たちは社会の虜になるほかならない・・とでも言うか?「サラリーマン」になるのは避けては通れないことかもしれないが、どんな「サラリーマン」になるのか、それは自分で決められると思う。

僕が目指す「サラリーマン」は「月給をもらう会社員」ではなく、「サラリとした人間」なのだ。世の中にはいいことばかりじゃないから、嫌みはサラリと受け流せる、大らかな大人になることだ。そういう意味では、この社会には「月給をもらうサラリーマン」が溢れるほど多いが、さらりとした人間がどんどん少なくなっているのではないか。

言われたまま行動し、むしろ何も言わなければ動かない人間。月給をもらうだけのために働く人間。自分の人生の目標や希望を見失った人間。人生は一度きり、本当にこれでいいのか?

もちろん、この世界は繋がっているので、自分勝手に行動するわけにはいかない。そういう意味では、働くことが人生では欠かせない一部になる。仕事をするときこそ、成長するのだ。仕事をすることによって、社会勉強になり、人間関係ができ、それから自分が成長するのだ。

ぼくが入社してから、本当の「敬語」を習った。自分は外国人だからといって、たまには「敬語」や「礼儀」ができなくても許されるとはいえ、この日本の社会で成功するにはなくてはならない要素だ。自分が苦手としたものを克服し、得意としたものを生かす。先の道はまだまだ遠いようだ。

もしかしたら、サラリーマンになったのは悪いことではなかったかもしれない。自分の人生の目標を見失わないように、常に掲げれば、きっと明るい未来が待っていると信じる。

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