早稲田大学のボランティアセンター(WAVOC)で震災1ヵ月半後に石巻市でボランティアに参加させていただいたが、その数カ月後、石巻市女子商業高校の生徒があのときすぐボランティア活動に励んだ大学生と交流したいということで、私達学生19人と数名のスタッフと先生方で再び石巻市に行くことになった。震災後、WAVOCが先遣隊として石巻市に行ったとき、たまたま石巻女子商業高校とか、明神社とか、その周辺の泥がきとがれきの撤去に派遣されたのだ。夜行バスで東京を出て、翌日早朝に石巻市に入って、最初は女川町の避難場所であった高台にある病院に行って、その高台から町の様子を見ました。

ご覧の通り、町全体が流されたのだ。高台のところまで町が完全に水に浸かっていたと聞いたときぞっとした。

早朝だったので病院の周辺にはあまり人影はいなかったけど、一人のおばあちゃんがずっとあそこに立って、全壊した町を眺めていた。あのおばあちゃんも家をなくしたんだろうか。どういう思いで見ているのか、とても気になっていた。女川町といえば、中国人の研修生たちがある日本人の先生に助けられたのに、先生のほうが結局流されて亡くなったという有名な話がある。今や静まり返った女川町はあのとき、きっと悲鳴に満ちてただろう。

そのあと、WAVOCのボランティアできた明神社や、石巻女子商業高校などの様子も見に行った。

私は第二便でこの明神社の掃除をしていたが、5か月ぶり以上に来て、やはり道端に重なっていたがれきが撤去されていて、風景が半年前と全く違っていた。

これは石巻女子商業高校です。正門にある時計は15:46で止まっている。これはいつの15:46だろうか。もしかしたら、3月11日の地震発生(14:46)の1時間後に止まっていたのかもしれないと思うと、鳥肌が経ちました。

石巻女子商業高校の中の様子。

6か月経った今でも、がれきの山は収まること知らんばかりに学校の外に積み重なっていた。

そのあと、8時ごろに石巻女子商業高校の女子高生と3つのグループに分かれてそれぞれのバスに乗りこんだ。私は第2班の班長を務めさせていただいたのだが、最初はどういうふうにアプローチすればいいのかわからないし、ゲームを用意したけど盛り上がるかどうか心配だったし、色々不安だったが、女子高生のほうはみんなテンションが高くてバスの中でゲームが始まる前に盛り上げてくれてて本当に助かった。

石巻女子商業高校の校舎はもう使わなくなって、1~3年生はそれぞれ違う学校の移動して、その学校の教室を借りて授業をやっているそうです。それに、家が全壊になった生徒は大半で、家族や親戚をなくして人は何人かいたそうです。もちろん気を遣って敏感な話題にはできるだけ触れないようにしたが、やはりこんなことがあったからといって、恐縮してしまうとこの活動の意味がなくなるので、みんなで思いきって楽しもうと、終始一貫ジョークを言ったり、ゲームをやったりして、本当に楽しい一日になりました。

「何かバイトやっているの?」と私がある学生に聞いた。家族とか家とかの質問を避けようと、いかにも普通そうな質問だった。

「地震まではやっていましたが、津波でバイト先が流されました。」と言われたとき、思わず眉間に皺を寄せた。地震とかを避けようと思ったが、やはり今回の震災の影響があまりにも大きすぎて日常生活も完全に崩れたみたいだ。

雨だったが、ウィエスキーの工場見学、屋内バーベキューと仙台ハイランドという遊園地で一日を過ごしました。みんなが思った以上に元気そうで本当によかったです。私も楽しい一日になりました。

そのあと、WAVOCの皆さんが東京へと戻ったが、JTBの伊藤さんと(私を含めて)大学生2人が宮城に残って、今回の旅の後半へと続いた。今回の旅はWAVOCの高校生との交流会があって、後半には伊藤さんが企んでいる復興支援活動の見学と勉強会に参加させていただいた。

震災後はやはり企業が潰れたりしたが、その影響と復興対策などを勉強しようと、缶詰、酒造の工場をお尋ねしました。南三陸ホテル観洋というホテルでただで露天風呂に入らせていただいた。露天風呂の目の前は津波が来た海で、想像するだけぞっとした。露天風呂に浸かっていて気持ちよかったが、こんな奇麗なところでも恐ろしい歴史が隠れていると思うと、なんか複雑な気持ちになった。

夜はJTBの伊藤さんと鈴木さんに現地の居酒屋でおいしい海鮮料理をご馳走していただいた。震災10日後に奇跡的に見つかったおばあさんと息子さんのお話はみんなご存知でしょうか?そのおばあさんの娘さん、つまりその見つかった息子の母親はJTBに働いていて実際お会いすることもできた。

夜は、伊藤さんの繋がりで、漁業の会社の布施社長のお宅に泊めていただいた。社長のお宅は海に近く、完全に津波に呑みこまれたそうです。実際道路を走っていると、街頭がないせいで真っ暗で、周りはがれきが撤去されたため平地になっていた。殻だけが残っていたり、全壊になったりした家も周りにあった。

社長のお宅も1階は完全に浸水したらしく、もともとのガラスドアは今仮のプラスチックドアに代わって、畳だった床は今段ボールで敷いてある。トイレはドアがなく、カーテンで区切られている。ガラスも割ったまま残っていて、津波の影響はまだまだリアルに感じ取ることができた。

津波は2階まで来なかったので、本当に奇麗だった。色々大変だったにもかかわらず、社長とご家族は暖かく迎えてくれた。布団とタオルを用意してくださったり、おまけに夜にお酒とおつまみをたくさん持ってきて一緒に食べながらおしゃべりしてた。社長は本当に面白い人だった。みんなでげらげら笑ったり、たまにシリアスな話になってシーンとなったりした。

「ワイングラスを持ってきてくれ」と社長が娘に頼んだら、娘が暫くして上がってきて、「ワイングラスは流されたのよ」と笑顔で言ってみんなで笑ったが、考えてみたら数か月前だったらきっと笑えなかっただろう。

社長と奥様と娘さんのお話を色々聞いて、本当に書き切れないぐらいたくさん勉強になった。夜の1時半までお話をして、前日夜行バスで来たせいで本当に眠かった。翌朝起きると、社長の奥様と娘さんが豪華な朝食を用意してくださった。本当に感動しました。

決して高級ホテルなんかではなく、むしろ被災して大変な状況になってはいるが、今まで味わったことのない感動的で暖かいホームステイだった。

布施家の皆さん、本当にありがとうございました。

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