3月28日

ペットボトル、食料、クレーヨンと画用紙などを荷物に詰めて日本に来た。合計40キロの荷物を苦労して家まで運んだ。昔、シンガポール親切運動の活動でボランティアしたときに、教育研究所で働かれていらっしゃる馬場喜久雄先生にお会いした。馬場先生は子供の教育に興味を持っていらっしゃるみたいだったので、このプロジェクトについて意見を求めようと思い、メールしたところ、驚くことに、メールを送った3時間後に「ぜひ手伝わせていただきたいです」と快くご協力をいただいて、更に当日の午後4時に会うことになった。馬場先生も色々な小学校の校長先生、それから被災地の各地の小学校と関わりがあるので、馬場先生のおかげで、このプロジェクトは予想以上に速く進んだ。その日の夜は馬場先生の息子さんが経営している自宅の1階にある居酒屋で一緒にお酒を飲みながら晩御飯をごちそうになった。

3月29日

埼玉スーパーアリーナには福島からの人が避難しているという情報が入ってきたので、ピーターと二人で行こうと思った。2人だけでは力が足りないかもしれないと思って、埼玉に住んでいるせいらというサークルの友達を誘って3人で行った。

避難所の本部で色々聞いたら、やっぱり避難所の中には入れないが、外だと自由に活動できるらしいので、私たち三人は紙に「一緒に絵を描こう」とかを書いて、看板を見せながら子供連れの家族に頼んだが、やっぱりなかなか受け入れてもらえなかった。最初に書いてもらえた両親と子供に感無量だった。避難所でボランティアしている人たちはみんなやさしくて、助け合いの精神をつくづく感じていた。「何か手伝えることありませんか?」とか「ポスターにこういうふうに書いたほうがいいよ」とか、「ポスターはこっちに貼ったほうがいいかもよ」とか積極的に聞いたり言ったりしてくる。「Bゲートは人が少ないが、Cゲートのほうには子供たちが集まっているよ」と、一人の女の人のアドバイスで、私たち3人はCゲートのほうに移った。

避難所の周りには、手品師とか、フットサルをやる人たちとか、ピエロとか色々な活動とパフォーマンスが行われている。私たちもCゲートに場所を取って、子供連れの家族を探し始めた。シンガポールの画家が日本に来てるというのが説得力があったか、反応が思った以上に良くて、多くの子供たちが集まってきた。隣には折り紙みたいな遊びをやるグループと、何か変わっている楽器で音楽を演奏するグループがいた。避難している人たちは何日間も同じところにいなきゃいけないので、無料で色々なサービスをしに来たグループが多くいた。美容師とか、マッサージ師とかもいた。それから、ドイツの記者と日刊スポーツの記者もいた。日刊スポーツの記者、澤野さんは特に私たちの活動に興味津々みたいで、ずっと私たちに質問をしながら、ノートに書いていた。色々話しているうちに澤野さんと仲良くなって、できればこの活動を日刊スポーツに載せたいとおっしゃってくれた。

避難所の中を少しだけ覗いたが、とても悲しい光景だった。福島から避難してきたので所持品が少なかった。段ボールで家族と家族の区切りを作り、中にはブランケットを敷いて、所持品の服、靴や本を置いてある。寝転がりながら喋ったり本を読んだりしていた。見るだけで胸が痛む。避難してきた人たちはもう二度と家に帰れないだろう。子供たちもほぼすべてをなくしたのに、純粋無垢に笑いながら絵を描いてくれた。「ぼく、いわき市だよ」と自己紹介してくれたときに、なぜか胸が熱くなった。

こんな大変な状況の中でも、みんながいれば楽しく遊べたりするもんだなと思った。夜になると寂しくなったり家が恋しくなったりするかもしれないが、みんながいればきっと笑顔になれると思った。みんながこれからゼロから生活を立てなきゃいけないだろうと思うと、同情の気持ちが湧いてきてならない。私たちができるのはこんなちっぽけなことだけど、少しでも希望と勇気を与えられたらいいなと思った。

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