カフェでパソコンに向かって仕事をしていたら、ちょっとした揺れを感じたが、誰かに椅子をうっかり蹴られただろうとしか思えなくて、作業を続けていた。そして、2回目の振動を感じた。目の前に座っているおばあさんが隣の男の人に尋ねた。「これ、地震ですよね?」

私は来日して3年間しか経っていなくて、今まで経験した地震もさほど大きくなかった。最後に経験した地震は2年前で、同じパソコン室にいた日本人たちは何もなかったかのように、身動ぎもせず、パソコンに夢中になっていた。私は地震とただの大型トラックによる道路の振動との区別はできないかもしれないけど、多々の地震を経験してきたお年寄りのおばあさんが勇気を絞って隣のお兄さんに自分の予感を確かめようとするのは、決していい兆しではなかっただろう。

その通りだった。次の瞬間に、カフェ自体が揺れ始めた。周りの人もぶつぶつと喋り始めた。私は10秒ほど居座ったまま、何をすればいいのかわからずに、ただ振動を感じるだけだった。10秒が経っても揺れが泊まる気配もなく、私は席を立ち、カフェを出た。そして、カフェの外に広がった光景は未だに、いや一生忘れられないだろう。ビルから人々が出てきて、電柱があたかも刺激を受けたかのようにひどく揺れ出して、道路自体が動いているように感じた。まるで船にいるみたいな感覚で、酔いすらしそうになった。一人の女性が酔ったせいか道路に倒れていた。車も全部止まった。工事中のビルの鉄棒がからからと鳴っていた。隣の男の人が「やばい、やばい、やばい」と念じていた。

私はただ、無口でこの光景を見つめていた。何をすればいいのか、何ができるのか、考えようともせず、いや、たとえ考えようとしても頭が真っ白になっているだろう。ビルが倒れたりするというイメージが頭の中をよぎって体が震えた。幸い、ビルは倒れたりはしなかった。振動が止まると、私はカフェに戻って、所持品をかばんに入れてカフェを出てアルバイト先へと向かった。

アルバイト先のインターナショナル塾では、先生たちがテレビを見ていた。その時、初めてこの地震のひどさがわかった。震源が宮城県で、震度8度で過去最大の地震になっていた。東京では震度5強らしい。津波と余震の警報がひっきりなしにテレビの画面に出てきては、一番被害を受けた宮城県や、火災が起きた千葉県の映像が流れていた。ニュースを伝えるアナウンサーたちもヘルメットをかぶっていて、緊張感が体を襲う。

暫くして地震と余震が落ち着いてきたが、電話やメールが繋がらなくなったし、電車も止まっていた。塾のアルバイトが終わって、次のレストランのアルバイトに行かなきゃいけなかったが、店長とは連絡も取れず、電車にも乗れず、どうしようかと迷っていたが、「このままじゃ心配をかけるだけでなく、アルバイトのシフトに入っているのに現れないと迷惑までかけるので行くしかない」と決めて、桜新町から麻布十番までの9キロを歩いて行った。

2時間半かけてついにレストランに着いて入ったら、店長や他のスタッフにびっくりされた。「電車も走っていないから、もう来ないかと思った」と店長に言われた。お客様もさほど多くなかったけど、来るお客様はみんな地震のことを聞いてきてくれて、このささやかな思いやりに感動した。こういう自然災害はたまに、私たちはみんな人間、とても弱い人間であるということを気付かせる。お互いに頼って生きなきゃいけないのだと。都会に住んでいると、隣に立っている人、隣に座っている人のことに対して全く関心を持たないかもしれないが、こんな地震が起きたとき、もしかしたら隣の人によって救われるかもしれないし、自分が隣の人を救わなきゃいけないかもしれないので、やっぱり私たちは自然災害の被害者として団結しなきゃいけないのだ。

帰りの電車では、朝のラッシュアワーよりひどくて、初めて電車に乗って苦痛を覚えた。人ごみに押されて身動ぎもできずに20分も乗っていた。電車が何時間も止まったあとに動き出したので、忍耐力が切れた人たちが叫び始めては電車に無理やり乗り込もうとして、大混乱になっていた。そして、改札口の外では長い列ができていた。このままでは、電車に乗れないだろうと、心配しながら、駅を出た。私は幸い無事に家に着いたが、大きく被害を受けた宮城県と茨城県の人たちの安全をお祈りするしかない。

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