この雑誌は一度ぐらいしか目を通したことないんだけど、この前図書カードを使おうと思って書店に寄ってみたときに、棚に置いてあったこのカラフルな一刊に目が奪われて、思わず手にして捲って読んでみたら、結構面白い記事が投稿されててそのまま図書カードで購入した。2011年の1月号のテーマは「本」です。カバーページにも「2011年。世の中を考える175冊」というキャッチフレーズが書いてある。私の知識の乏しさを補おうと、2011年を読書の1年にしようかと思った。

中には哲学者、大学の教授、僧侶をはじめ、多岐にわたる有名な方々によって色々な「読むべき」本を紹介していただいた。仏教やビジネスなどというテーマには触れているが、一番注目を浴びているのはやはり「哲学」みたいだ。哲学者の萱野稔人さんと作家のいとうせいこうさんがこれについて語る「正義と個人」という記事はとても面白いものがある。

20世紀になってから「哲学」というものが遠い存在に感じられるようになった。哲学に対するイメージが古くてダサいというふうになってきた今頃、もはやこの時代には必要性がなくなったのでは?という疑問が浮上しているところである。「リベラル」な社会になったので、誰もが自分なりの考え方を持っていればいいのでは?中立な立場をとれば、または国家の大半の意見に従えばいいということだろうか。

例えば、「同性婚」に対する偏見がだんだん弱ってきたのだが、それは本当に、社会がリベラルになったからなのか?「個人の選択の自由」ということなのか?しかし、萱野さんがこれに対して反論したのが、「実際にはリベラルな人たちも、多くは一夫多妻制を認めてはいません。」確かに、「同性」と「一夫多妻」とはどこが違うだろうか?それぞれの賛否に裏付ける理由は必ず「選択の自由」以上に強い論理がないと、納得はいかないでしょう。多くのイスラム国家は一夫多妻制を認めるが、「同性婚」を認めてはいない。その逆の場合も存在している。なぜその宗教が片方だけに賛成するのか、追求しなければいけないということだ。また、宗教のない人々は一体何に影響を受けて賛否しているのか?昔の多くの社会で認められてきた「一夫多妻制」を何を理由にして反対するようになったか、またずっと認められていなかった「同性婚」はどうしてまだ反対意見が多いのか?社会が変わってきつつある中、考え方や哲学も共に変えていかなければいけない。なので、未来を担ぐ若者の我々は哲学を避けるべからず、改めて哲学を作っていかなければいけないのだ。

この同じ記事に書かれたもう一つの点なのですが、「自分探し」という言葉に疑問を持ったのはいとうさんだった。「自分の中を掘っても掘っても・・(中略)社会的承認は永遠に得られない。」確かに、今の社会は個人だけの問題でなく、人と人との関わりがより大切になってきたのである。でも、私は「自分探し」には反対していない。自分のことがわからなければ、社会とどう関わっていけばいいのかがわからない。なので、「自分探し」自体には問題はないんだが、ただ「自分探し」の段階で留まったら間違いなのだ。自分探しをしたうえで、社会との関わり、また社会における自分の役割をみつけなければいけない。

就職活動に励んでいる日本の大学生たちはよく「自己分析」を行っているのだが、20何歳の大学生になってから初めて自分のことを分析するというのはおかしいのではないか?20何年間生きてきて、今更自分のことを考えるのはちょっと遅くないのだろうか?(もちろん大学生全員が就活にあたって初めて自己分析をするとは言ってないが)

しかも、仕事を見つけるために自己分析をやっているのはどうなんだろう?自己分析は常にやらなければいけないことだと思う。中学生といい、高校生といい、自分がやっていることを常に振り返ったり反省したりしなければいけない。そして、就職に就くためでなく、「自己分析」の言葉通り、自分のことが理解できるようにするべきことなのだ。

そうすると、自分の将来をちょっとずつ自分で作り始めることができる。自分のこれから歩む道を作っていくのだ。自分のことがよくわからないまま大学に入ったせいで、大学で何を勉強しているのか、将来何をしたいのかがわからないのだ。大学生になっても、高校生・中学生とは年齢以外何も変わっていないまま、勉強なり遊びなりしているだけ。だから、大学生になって初めて自分の将来に不安を感じずにはいられない。だいたい、大学生というのは、すでに社会への第一歩と言っていいでしょう。大学で学んだことを将来に生かして働かなければいけない。ただし、日本の場合だと、大学で学んだことはほとんど使わずに会社に入ってからゼロから始めるという。だったら、この大学の4年間は一体何をやっているのだろうか?

要するに、「自分探し」または「自己分析」は大学生になって就職活動をするためにやるのでなく、中学校でも、高校でも、学校のカリキュラムに取り組まなければいけないと思う。これは、日本だけでなく、世界のどこの国でもやるべきことだと思う。もちろん、私も含めて、大学生になっても自分探しを常にしてても、未だに迷っている人は多くいるだろう。だからこそ、「自分探し」は就職活動の際だけにやるべきでなく、就職してからも常にしなければいけない。そしたら、自分が違った道を選んだと気づいたら、また人生の舵を変えることができる。日本の会社の場合だと、仕事を変えることは簡単なものではないが、仕事を変えなくても、常に自己分析をしたほうが、より充実した人生が送れるだろうと思う。

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